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大奥(1983)#34
「陽気な未亡人」(1983年・S58・11月22日OA)

八代将軍になった吉宗(鹿賀丈史)の母ゆり(=浄円院:山田五十鈴)と嫁(側室)のたえ(斉藤慶子)が梅干し持参で大奥を訪れた。場所柄構わずカントリースタイルを崩さない二人は大奥の庭を耕して畑にする始末。困惑する月光院(江波杏子)の頼みで偵察に訪れた間部(トメ位置奪回:天知茂)は、自ら野良作業に勤しむ吉宗に不穏な胸騒ぎを覚えた。「あの汗が、怖い…」

覗き見するデカダンスなふたり(=月光院&間部)の存在は、ゆりと吉宗に気づかれていた。「あの男(=間部)が側にいては、月光院さまの切り髪もけがれ果てようのう。お気の毒なことや」(いやどっちかというと彼女の魔性が原因なのだが)母の呟きに、吉宗は近々決着をつけると約束する。

間部は天英院(加賀まりこ)に、吉宗を大奥へ誘う骨抜き作戦を暗に促すのだが、今回ばかりは吉宗の対応の方が素早かった。彼は大奥に自分の許可なく男子が入ることを固く禁じたばかりか、側用人の役職を廃止する、と宣言したのだ。万事休した間部は、がくりと頭を下げるしかなかった。

この命令に当然憤った月光院は吉宗に詰め寄ったものの、「二人とも人の手本とならなあかんお人やさかい…ふっつり諦めなされ」とゆりに諭される。想いがあるうちに断ち切った方が、後の生きるよすがになる――ゆりの言葉を噛みしめる月光院。

一方、側用人から雁間詰に配置換え(左遷)させられ陰鬱がどんより増していた間部はある日、周囲の反対を押し切って大奥に入り、所領の高崎に戻らせてほしいと吉宗に直に申し出て許可を貰う。健在で、と言う吉宗に「かつての名もなき能役者めよ、と白い目を向けられ続けた越前の引き際、とくとご覧下さりませ」とひとさし舞おうとして振り向くとそこには涙目の月光院が。「月光院様にもお健やかに…想いを抱き、消え失せまする」それだけ言って「船弁慶」最後の部分(弁慶舟子に力を合せ〜)を舞いながら(謡は吹き替え)、間部は厳かに退場してゆくのだった――。

(このあと月光院も吹上御殿へ移り、紀州ファミリーとの微笑ましい交流のあとで“陽気な未亡人”・天英院もまた別れの舞を舞って退場するところまで続くが、ワタシ的にはここがセフィニ〜♪

*“金襴緞子から木綿の世界に”をポリシーに質素倹約を敢行する吉宗に完敗、とうとう画面上から姿を消してしまう間部。往生際悪く足掻く事すら潔しとしない、エベレスト級自意識の持ち主らしい壮麗な引き際だった。

*大奥改革を終え、紀州親子が「さっぱりしましたな」と言い合っていたが、たしかに間部&月光院の濃密といおうかいかがわしさ全開といおうか、大層おどろおどろしいコンビがいなくなると雰囲気がガラッとライトに変化していた。

*能役者といえば翌年(1984年)の「真夜中の鬼女」(能役者・宗山役)、いつかぜひ見てみたい。原作はもしや泉鏡花の「歌行燈」なんだろうか?

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| TVドラマ(時代劇)::大奥(1983) | 10:58 PM | comments (x) | trackback (x) |
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