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『若き日の啄木 雲は天才である』
『若き日の啄木 雲は天才である』(1954年・S29)

(台本を入手)
かの『東海道四谷怪談』『地獄』を世に生み出した中川信夫監督との最初の出会いを、天っちゃんは『人形佐七捕物帖 妖艶六死美人』(1956年)だと語っていたが(「地獄でヨーイ、ハイ!」参照)、実は端役での出演ながら、その2年前に本作がある。

強烈な個性ゆえに郷里を追われ北海道に向かった石川啄木(岡田英次)は、親友の世話で新聞記者の職を得るが、ここでもまた周囲と衝突し、とうとう東京行きを決意するのだった…という展開を、有名な句を織り交ぜながら映像化した文芸作品で、北海道(釧路)で啄木を出迎える(パシリ扱いの)同僚新聞記者・小松というのが天知茂。三面記事担当の彼と共同で記事を書けと言われた啄木は早速「オレは二面がいい」などとわがままを言うのだが、編集長そして小松クンたち若い連中(松本朝夫氏ら)は尊敬の念を込めて温かく見守ってくれるシチュエーションらしい。セリフはほとんど無いものの、啄木と行動を共にすることがしばしばあり、画面にはけっこう映っているのではないかと期待している。

*対立紙の記者(ヒール)に丹波さん。

*(2007.8.9追記)本編を見た。
天才肌ゆえの傍若無人さが災いして故郷を追われるように去り、親友・宮川(細川俊夫)のいる函館でもうまく行かず、小樽でエラそうさでは五分五分な新聞社の主筆(丹波哲郎)とひと悶着起こした揚句に退社、釧路まで流れてきた石川啄木(岡田英次)。理解ある社長(佐々木孝丸)や同郷の先輩(山形勲)、人のいい芸者・小奴(角梨枝子)たちに囲まれ記者として軌道に乗ったのも束の間、またもや周囲と諍いを起こし、今度こそは真剣に文学に取り組もうと北の地を後にするのだった・・・というストーリーが有名な句を織り交ぜて描かれている。貧乏+姑に耐え忍んでる嫁さんを置き去りにして自分の夢を追い続ける啄木に感情移入しづらいせいで、なんだか必要以上にしんどさを感じる映画である。

初の主演映画『恐怖のカービン銃』の3ヶ月前に封切られているこの作品での天っちゃんの役柄は、釧路新報の小松記者(台本による。残念ながら本編で名前を呼ばれることは無かった)。釧路に着いたばかりの啄木と人力車で新聞社の玄関へ降り立ち、意外に雪が少ないですねえとの啄木の言葉に「ああ、しかし寒いですよ」とインバネスをひるがえしながら社内へ入り主筆に紹介するシーンが初お目見えで、着込んでいるからかもしれないが、新東宝時代の彼にしては体格がまずまず良かったのが印象的。正面きってのアップは一度もないものの、こまごまとしたシーンでさりげなく映っていて、さりげなくセリフを言っている姿を発見するのが楽しかった。

*愛国婦人会主催のかるた大会(啄木の隣には小松記者もいる)の司会進行役として三原葉子ねえさんがちょこっと登場。

*岡田英次さんと天っちゃん、四半世紀あまり経つとエマニエルの美女になるのだなあと思うと実に感慨深い(それを引き合いに出すのはどうか)。

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| 映画::新東宝 | 10:38 PM | comments (x) | trackback (x) |
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