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『男の勝負 仁王の刺青』
『男の勝負 仁王の刺青』(1967年・S42)

喧嘩っ早さが元で破門された九州男児の浪曲師、“暴れマサ”こと菊地政五郎(村田英雄)は、兄弟子(中山昭二)と別れ来阪。押しかけ女房のお袖(藤純子)と職を探すが、破門された者を雇ってくれる興行師はいない。そんな折に地元侠客の山根組とねんごろになり、ヤクザの世界に入ることを決意する。

大阪を仕切る侠客には、山根(明石潮)のほか、石津(天津敏)、石津の弟分の浦辺(名和弘)、そして滝井伊三郎(先のメンツに比べると、親分というよりは呉服屋の若旦那のような雰囲気の天知茂)がいた。自分ちの若い衆をボコボコにした政五郎とサシの勝負に出たり、ある時はクレーンで吊り下げてリンチしたりと、最初は対立していた伊三郎だが、政五郎の漢(オトコ)気に感心したらしく、いつしか心を許す関係に。

政五郎が米騒動の責任を取りムショ入りしている間に、山根組のシマを乗っ取りたい石津と浦辺が、山根のゴミ船の人足を囲い込み営業停止に追い込むという嫌がらせに出た。進退窮まったお袖ら山根一家に救いの手を差し伸べたのが伊三郎。彼はやがて出所してきた政五郎と義兄弟の盃を交わし、山根組襲名披露のために奔走してやるのだった。

政五郎のかつての師匠や兄弟子も招かれ、芝居道楽な若旦那もとい伊三郎親分が企画した浪花節興行は襲名披露と相俟って盛大に開催された。が、心労が祟ってお袖が急死、おまけに石津&浦辺の極悪コンビが出席予定の芸人を拉致監禁、興行はたちまち途中キャンセルの危機に陥る。愛妻を失い傷心の政五郎に事情は告げられぬと、伊三郎は単身で石津の下へ掛け合いに向かった。

ところが、証拠がないとうそぶかれた揚句「眼ぇ三角にしよってからに、大層なこっちゃなあ」と軽くいなされ(元々そんな眼なんだから堪忍したって下さい>天津さん)静かにブチ切れた紋付袴の若旦那(親分)、ワイは命を張ってきたんや、オノレが死ぬかワイが死ぬかじゃあ!と匕首を抜いてテーブル越しに石津に襲い掛かった…!のだが、彼のリーチよりテーブル幅の方がはるかに広く失敗(も少し考えてから襲えよ)、かくして石津や浦辺の子分らと乱闘になり、かなり善戦したものの数には勝てず、四方八方からメッタ突きの憂き目に遭ってしまう。

床に倒れてからも踏まれたり蹴られたり、瀕死のカメ状態の伊三郎に、浦島太郎ならぬ小浪竜次郎(政五郎に恩義のある、石津一家の客分:鶴田浩二)が見兼ねて助け舟を出した。彼の説得に石津はしぶしぶ芸人を渡すことを承諾し、それを聞いた伊三郎は竜次郎の腕の中で安堵したように息を引き取った。今度はオマエが政五郎をヤる番だぜとの言葉を背に、竜次郎は伊三郎の亡骸を背負って静かに部屋を後にした…。

その後、仁王の刺青を引っさげて政五郎が弔い合戦に向かい、渡世のしがらみに縛られた竜次郎とのひと悶着を乗り越えて、二人して(あ、サブちゃんもいたなあ)にっくき石津たちを斬り捨て(石津と相討ちになった竜次郎は仁侠映画っぽい台詞を吐きながら雪の中で絶命)、政五郎は息子たちとの涙の別れを経てお縄となるのだった。

*前作「男の勝負」の弁次郎は陽気な二枚目半だったが、どこかインテリ臭を漂わせるキレ者の伊三郎親分。冷静沈着で、いざというとき頼り甲斐があり、友(きょうだい)思い。そんなすこぶるイイ人のなで肩の若旦那を一人で敵地へ行かせるってのはどういうことだよ子分衆!

*ようやく「誰かに抱かれて死ぬ」天っちゃんに遭遇できたわけだが、ずっと見てたんならも少し早くなんとかしてやって下さいよ鶴田さん(泣)

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| 映画::東映 | 12:54 PM | comments (x) | trackback (x) |
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