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天皇の世紀 #5
「大獄」(1971年・S46・10月2日OA)

天皇の世紀

条約締結や後継問題の件で井伊大老(中村竹弥)を詰問しようと押しかけ登城した御三家の面々はそれぞれ謹慎処分を受けた。まもなく家定将軍死去の知らせが入り、水戸の徳川斉昭(三島雅夫)は井伊のワンマンぶりに怒り心頭。また京都でも、条約を勝手に締結した事で天皇が立腹、水戸贔屓の面々は天皇の手紙を直接水戸へ届ける手段に出た。そしてそれは、京都入りする老中のための下工作に奔走中の長野主膳(主役:天知茂)の耳にも入る。

直弼の部屋住み時代の愛人で今は主膳と微妙な仲にある(byナレーション)たか(南風洋子)の屋敷に滞在、忍び衆を傍に置き、一度毒見した茶の再毒見を無言で強要するすさまじく慎重な主膳だったが、この密勅の件を聞き慌てて九条関白(青野平義)の元へ。だが海千山千の九条は、水戸宛の書状には署名せず、ちゃっかり作っておいた同じ内容の幕府宛のものには署名をしていた。つまり関白の署名のない水戸宛の書状は「偽勅」とみなせる――江戸で青ざめていた直弼もこの主膳の知らせで安堵し、水戸藩の家老たちを隠居に追い込んだ。

しかし秋には九条が関白の座から引きずり落とされ、悪口雑言を投げ文する輩の出現もあって主膳の立場は悪くなる。そこで巻き返しを図った主膳、投げ文の犯人を探るため、わざと白紙の書状を飛脚問屋に預けて忍びに盗ませ、「昨日の書状、返してもらいたい」と主人にねじ込み、問屋にあるすべての書状を堂々と調べ上げるという荒技に出た。その結果、犯人は尊攘志士の梅田雲浜(外山高士)と判明、主膳は彼の一味をことごとく牢に繋ぎ、ここに安政の大獄が始まるのであった。

老中首座の間部詮勝(生井健夫)を安全に京へ入れるため、という名目でばっさばっさと水戸藩ゆかりの人物や公家らアンチ井伊派を弾圧する主膳。やがて九条が関白に返り咲き、間部が京都入りした後でも「頭の毛は、幾度でも生えまする。二度と毛の生えぬ頭こそ、望みです」とツッコミ自粛な発言で手綱を全く緩めず、鷹司たち水戸派の公家衆を出家に追い込み、捕えた者たちをことごとく江戸送りにしてのけた。

「むごくあってこそ力だ」――うそぶく主膳の最後のターゲットは水戸藩そのもの。「小憎い男よのう、主膳は」天皇の言葉をでっちあげてでも水戸に止めをさそうとしている彼に苦笑しながら、直弼は自分も同じことを考えていた、と彼のやり口を擁護するのだった。

…と、ここで唐突に舞台は現代に。評定所跡・東京常盤橋にたたずむ主膳の中の人(=コサック服のようなシャツ&ジャケットの天知茂)が、生真面目かつ心もち沈痛な面持ちで語りだす。

「安政の大獄で検挙された人たちは、ここにあった評定所というところで裁判を受けたのですが、その審議には初めから予断があり、およそ公正な裁判とは程遠いものだったのです」

いや、検挙させた張本人にそんなこと言われましても。戸惑う視聴者をよそに、

「暗い幕末期にあって、ひときわ光を放った2人の人物、越前の橋本左内(田村正和)と長州の吉田寅次郎(=松蔭:原田芳雄)も検挙されていたのですが、この2人は、井伊大老にとり、絶対に許せない不逞分子でした。では、まず、橋本左内から」

歴史再現番組のナレーターめいた口調で締める天っちゃん。場面は再び江戸へと切り替わり、左内や寅次郎の最期の様子が描かれた後、主膳にとっては一大事の桜田門外の変が現代の桜田門周辺をバックに「井伊直弼の首を討ち取ったぞー!」などというセリフだけで展開されてこの回は終了した。

*安政の大獄の立役者(?)として、水戸藩や公家衆ら“不逞分子”たちを弾圧しまくる主膳、ワルさに磨きがかかって大そうな活躍ぶりだった。しかし桜田門外の変がえらくあっさり済まされてしまったので、そのときの心情などが分からずじまいで残念。

*左内を裁く評定所の役人・池田頼方役で北町史郎(現・嘉朗)さん。「いかほど良いことでも、良すぎては悪となる!」との名言で左内を黙らせていた。

*写真はコワモテ主膳と、いかにも善い人そうな中の人。この回に限らず、いきなり現代のシーンになる演出があったようだが、そのギャップに顔が緩む。

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| TVドラマ(時代劇)::天皇の世紀 | 12:16 AM | comments (x) | trackback (x) |
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