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素敵なこの人 [3](終)
素敵なこの人 (1983・S58・9月19日OA)

[2]の続き)

喜田晋平(以下、喜):いやいや、どうもどうも!

天知茂(以下、天):お久しぶりです。

檀ふみ(以下、檀):どうぞ、お座り下さい。

喜:何を話しまんね。(画像) *喜田さんは関西弁

檀:大部屋時代の臼井青年は、どんな感じのかたでしたか?

喜:どんなてアンタ、アンタ今「臼井(ウスイ)」いいましたけどな、影のウスイね、…

天:(笑)

喜:そんなもう、いるかいないか分からんようなね。だから僕らよう言うてましたよ。もうウスイウスイ、影がウスイてね。そういう人だったですよ。

檀:だって、あのほら、私ちょっと昔の写真拝見しましたけど、非常な二枚目でいらっしゃった…(二枚目画像1画像2

喜:ええもう、まあねえ(笑)いやいや、その当時はねえ、ほんま影うすかったですよ。うん、もういるかいないか分からん。

檀:ぜんぜん、その、要するに、将来スターになるかなんて…

喜:そんなもん、ありますかいなアンタ全然。ほんとにほんとに。今はもうねえ、素晴らしい人ですよ。でもその当時はねえ、僕の方が出世すると思てましたからな(笑)そうそう、アンタまたよう勉強(べんきょ)しまんねんこの人。(大部屋時代の二人の画像

檀:ここ(山本さんへの手紙)に書いてあった内容見ました。映画のことばっかり。

喜:そうそうそう、だからね、ワシがもうね、眠たいでしょ夜ね、でこの人がね、…キネマ旬報の後ろにさ、有名な映画のシナリオがあるでしょ?

檀:ああ、全部載ってる。

喜:そうそう。それをこの人が夜また、ぼとぼとぼとぼとと台詞を喋るわけですわ。

檀:練習なさってるわけですか、台詞を。

喜:ワシがもう眠たて「もうはよ寝えな、出世はアンタ出来ないんだから」と(笑)ね、一言もそんな台詞なんかもろたことないんやから、今からしたってアカンアカンと。

檀:影うすいんだから?(笑)

喜:そう、影うすいんだからダメだっちゅうて。

檀:でもその当時は、台詞とか喋るチャンスはあったんですか?

喜:そんなもんありますかいなアンタ。一言もあれへんがね。

檀:だってそのために勉強なさってたわけじゃないんですか?

喜:いやまあ、そら将来ということを考えていたんでしょうなあ。

檀:ずうっと将来に…

喜:とにかくまあ檀さん聞いて。とにかくね、この…キャバレーでなくて…喫茶店でさ、ボーイで、…ボーイやな?(天知さんに確認) (画像)*写真は「地獄の血闘」(1951)らしい。左は主演の鶴田浩二さん

天:うん。

喜:お喋り一言も無し、ただお盆持って、水入れてさ、持ってくだけや。「いらっしゃいませ」って、言うか言わんか分かんないけど。

天:言ったよ、一応あれ。

喜:言った?

天:うん。

檀:よく覚えてらっしゃる(笑)

喜:やっぱ覚えてんねん、ショッキングやったんで。…こう(お盆をもつ真似して)ガタガタガタガタ…って、(天知さん)震えてんだね。ねえ、今の天知さんとは思いもつかんでしょ。震えて。ほたらこう、録音が「ププーッ、なんじゃ今の音は! カーッ! 臼井君? うーん代われ代われ! ああ、お前やれ!」ってワシ。「いらっしゃいませ」で「オッケー!」で、(彼の)出番はパー。

檀:そのへんちょっと待って下さい(笑)あの、天知さんにもちゃんと伺っておかないと。いかがだったんですか?

天:そうそうそう、その通りです。

檀:その通り。もうあがってしまって、緊張してしまって。

喜:影がうすいんだから、とにかくもう(笑)

檀:あらそうですか。それでそういう生活を送りながら、そんなに割と、生活も貧しくて…また、大病をなさったのも、その当時なんですか?

天:そうですねえ。夏のねえ、暑い時でしたけれどもねえ。京都ってのはまた暑いでしょ?

檀:ええ、夏は非常に。その当時のお話も、ちょっとお兄様に伺ってますので、…

天:そうですか。

檀:ちょっとお聞きください。

VTRの薫兄さん:肺炎でしょうかねえ。40度の高熱が続くと。ところでまあ思い出しますと、当時1本1000円という…ペニシリンですか、あれをねえ、7本打つと。で7000円の大金をですね、昭和20…何年でしょうか、22年か3年ですからねえ。まあ今思ってぞっとするような大金だったと思います。もうほんとにねえ、当時寿司屋やってましたからねえ。売り上げをね、その日の売り上げをひっさらえてねえ、また送るというようなことをやった覚えがありますね。まあそれでもとにかく、命は助かったということでね、非常にまあ嬉しかったですねえ。

川瀬さん(以下、川):みんなあの、お酒が好きなんですよ。だから見舞いに行ってね、見舞いはもうどちらでもいいからね、…

檀:名古屋からいらしたんですか?

川:そうですそうです。

檀:京都まで、お見舞いにいらして。で、何なさったんですか?

川:夜ね、飲みに行くんですよ、毎日ね。で2時か3時くらいに帰ってくるんですよ。ほんで彼、ウンウン唸っているのにね、わしらだけぐーぐー鼾かいて寝てるもんだからね、彼のお袋さんに叱られましてね(笑)

天:(笑)

川:あんたたちは何しにきたんだ一体、と叱られたことがあるんですよ。

檀:お母様はその時…

天:ええ、もう付きっきりでした。 (お母様との画像

檀:そうですか。…そういうお母様も、4年前でしたか、お亡くなりになられて。

天:そうですねえ。ええまあ、これ…ひとつの因縁っていえば因縁なのかもしれませんけど、ちょうど僕が役者になって30年目の年だったんですね。でまあ、30年目だからというので、30周年というような形で、東京と名古屋と大阪で、なにか催しをやろうというような計画を立てている時に、ちょうど息を引き取っちゃったんですけどね。

檀:死に目には、お会いになれたんですか?

天:会えなかったんです。それでその、2日ぐらい前に、もう危ないんじゃないかって兄貴から連絡があったんで、行って、そのときにはもう、意識は無かったんですけれども、まあ、手を握ってね、それで…それで、お袋ってのは、僕が役者になりましてね、まあ京都時代は「臼井」でしたけれども、「天知茂」という芸名…これは新東宝に入ってからですけど、そうなりましてからっていうのはね、それまではもちろん「登(のぼる)、登」と呼んでたわけですが…芸名でね、必ず呼ぶんです。

檀:「天知茂」におなりになってから。

天:ええ、「天知、天知」ってね。…で、まあそのときも、「天知だよ」と僕が言って、…んー、言ったんだけど、まあなんとなく分かったのかな、分からないのかな、ってそんな感じだったんですけどね。でもまあ大丈夫だろうと思って僕が東京へ帰ってきて、帰ってきた途端に電話が掛かってきましてね。それがね、ちょうど僕のテレビを、…放送が始まったときだったんです。で、電話が兄貴から掛かってきたときは、ちょうど僕のタイトルが出てるぐらいのところで、電話が鳴りましてね。…ですから当然名古屋も同じ番組をやっていたはずですから、ちょうどその時に息を引き取ったっては、なんとなく因縁っていいますかねえ。 *別記事によると、お母様が亡くなったのは1979年3月6日、「僕のテレビ」とは、「柳生一族の陰謀」#22(宮本武蔵役)。

檀:まあでも、お母様がそういうふうな道に進ませたも同然であったし、…

天:ええ。

檀:でも、よかったといえばよかったというのは、ちゃんとその、立派になられたところを、ご覧になってらっしゃったから…

天:そうですねえ。まあそれとね、亡くなる10年くらい前から、足を悪くしましてね、お袋は。ですから、あんまり歩行は出来なかったので、東京へ来るっていうこともあんまりなかったし。ですからなんとかね、名古屋でね、舞台をやろうと思って。で、それはまあ、もちろん、お袋のためだけではないんですけども、お袋にやっぱり見せたいと思って、それで名古屋の御園座って劇場で、ずっとその頃お芝居をやってたんですよね。

喜:役者になったの18でしょ、18から未だかつて初志貫徹、全然変わらない。思い遣りとかね、そういうことがほらもう…全然狂いがありませんな。

檀:初志貫徹といえば、その男のロマンである映画作りであるとか、そういう夢を持ってらして、なんか今、映画を…

天:ええ、そうなんです。まあ役者ってのはどうしてもね、一度はなんかこう自分の手で作りたいとか、なんかそういう夢って必ずあるものなんでしょうけども、僕の場合も、勿論ずっとあったんですけれどもね。ただまあ、映画作りというのは、決して一人での仕事ではないし、沢山の仲間があって初めて成り立つ仕事だから、自分だけの気持ちだけでやっちゃいけないと。…たまたまねえ、日本人ではなくてね、スペインのねえ、俳優でもあり、そして監督もやるっていう、ポール・ナッチーっていう男がいるんですけども、その男とたまたま6年ぐらい前に僕はあの…東京でね、ある人の紹介で、知り合いましてね。それで約6年間にわたって、向こうが日本へ来たり、僕がまたスペインへ遊びに行ったりというような機会を利用して、交流を深めていって、それでお互いまあ映画人なんだから、なんか一緒に作ろうじゃないかという話を育ててきましてね。それで今年、やっと実現させたわけですね。(画像)

檀:じゃあスペインとの合作映画…

天:そうですね。ですから、まあ、僕はこの道が好きで役者になったし、その好きだっていうのはもう、昔も今もまったく変わりがないんですね。ですからまあ、そこ(手紙)になんて書いてあるか分かりませんけども、それと同じ気持ちが未だにやはり失わずにある、っていうことだけは言えると思うんですねえ。だからこの好きな世界の中で、自分をいろんな意味で試していく、自分の可能性を試していく、で、絶えずなんか新しいものにも挑戦していくという気持ちだけは、…(ここでクレジットが終わって終了。ちと喋りすぎです天知さん)

*緊張の余りガタガタ震えて出番をかっさらわれたり、そういうほろ苦い経験を積んであの眉間(だけじゃないけど)ができ上がったんだなあと思うと感慨深い。でもそれで最後はポール・ナッチーに行きつくのはなんだかなあ、だが(失礼)

*喜田晋平さんは美女シリーズなど、天知作品のどこかを探せば出てらっしゃる人だが、例の「日傘の女」では堂々(?)の主役を張っている。

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